要旨
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Nikon、Canon二社で80%に達する199年代初頭の絶頂期から、国内半導体デバイスメーカの凋落と時を一に国内半導体露光装置メーカNikon、Canonの地盤沈下が続いている。2002年には着実にシェアを伸ばしてきたASML社がトップに躍り出た。露光装置はコンタクト露光に始まり、プロキシティ露光、1:1ミラースキャンから縮小投影露光へ進み、縮小投影露光はg線、i線、KrF、ArFと短波長化し、Step&RepeatからStep&Scanに移行してきた。競争は過酷で次世代露光装置の開発に露光装置メーカの命運がかかっている。2000年前後にはArF 193 nmの次の技術が混沌としていた。ArF 193 nmに目途がついた1950年代後半、次世代リソグラフィの選択は、露光装置メーカだけでなく半導体業界全体の問題でもあった。波長メリットが少ないとされたF2 157 nm は当初選択されずEPLに代表される電子線投影露光やEUVLと呼ばれる軟X線縮小投影露光が候補になっていた。しかし開発は進展せずF2 157 nmに軸を置かざるを得なくなった。本稿では露光装置メーカ、デバイスメーカ、コンソーシアムなどが、EPL、EUVLに代えて再浮上させたF2 157 nmリソグラフィ技術の選択、開発の遅延、ArF 193 nm液浸リソグラフィ技術への急展開と集中、F2 157 nmリソグラフィの断念、ArF 193 nm液浸リソグラフィの急成長、限界となるNA 1.35装置の投入へと突き進んだ過程を追い、技術開発の方向を変えていく様、リソグラフィ技術の世代交代の過酷さ、更なる寡占化を生んだ選択と集中・成長サイクルの創出過程に垣間見られるオープンイノベーション戦略の優劣に迫る。
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